三重の百人対談

宮原良雄さん×西井勢津子さん

第4回

第4回
宮原良雄さん×西井勢津子さん

対談ダイジェスト
人としての親子の関係

宮原- 結婚したての頃はですね、事務所で子供たちを育てながら親の背中を見せると、後姿だけ見ていたようなところがありまして。

西井- うちの父親と私がまちづくりの会合に一緒にいるっていうのは絶対考えられないなとか思って。娘さんに誘ってもらって来て、父親の偉そうぶったところが全然ないというのが衝撃的だったんですよ。

宮原- 一緒に子供たちの話を聞きながら私も育っていきたいなと、まだこの歳でそう思っております。その時に子供なりに考えたところ、親なりに考えたところ、それは結局、人として考えたところにつながっていくと思うので。

仕事を決める

宮原- 名古屋の方に就職した時、初めて長男って言う認識をしたんですね。いずれは帰っていかなければいけない、どうすれば生活できるか、と言うことを考えました。

宮原- 建築っていうのはやはり、衣食住のうちの一つでして、一番関わり合いの深いものなんですね。で、一級建築士を取ろうという風に決めまして。9年かかりましたけれども。

宮原- お客さんは100人いれば100人違うわけです。同じものが100%ないわけですから、いつも真摯な気持ちで試行錯誤しなければ、と。現状維持になってしまったら絶対にマイナスだという発想がいつもありまして。それは子どもに対しても地域に対しても一緒かなと思うんですけどねえ。

西井- 仕事から先に帰そうと思って三重にUターンをしてきている途中なんですけど、やっぱり三重の風景が自分の中にあるんだなあっていうのをつくづく感じています。

Uターンの覚悟

西井- 小学校の時、農家さんの畑をお借りして、おじちゃんおばちゃんが私たちに畝の作り方から教えてくれるっていう授業が6年間あったんですよ。地域の人に育んでもらうことと、土の中のものを自分が育むということを教えてもらったんだなあと。

宮原- 私の場合、自分の中に原風景が残ってて、田舎に帰ることに何の躊躇もなかったのかもしれないですけどねえ。

西井- 原風景があって帰りたかったっていうことの一方で、別に農村であればどこでも良かったんですよ。秋田でも、沖縄でも、農村という場所に行きたかった。でも、やっぱり最後に自分が逃げられない場所だろうなと思ったんです。

西井- 秋田だったら、すぐ帰って来ちゃったら迷惑を掛けた人に会わずにまた逃げられてしまうので、その辺をなんかすごく意識したような気がして。

まちと関わる姿勢

西井- 宮原さんは自分が設計士だということをひとまずおいて、まちづくりに関わってらっしゃるじゃないですか。そこでは本業に生かそうってねらいが全くないような気がするんですが?

宮原- 本業に生かそうと思ったら、たぶん地域の方は私をそんなに受け入れてくれなかったと思います。それは見え隠れするほど分かりますからね。

宮原- 田舎で生業として「生かされて生きる」っていう言葉で考えたんですね。生かされて生きることに感謝する気持ちを、地域の方にいかに返せるかっていうのが私の一番願望というところがあって。だから建築に関わらないところで、地域の中にどっぷり足をいれこんでやっていこうと。

西井- あえてソーシャルビジネスという言葉で切り取らなくてもいいのかもしれませんがが、そういったことを志す人たちへのメッセージってありますか?

宮原- 地域に入った時に、地域に骨をうずめようっていう気持ちがないと、地域の方は受け入れてくれないのかなあ、という風に思います。それが一番大事だろうと思うんです。

問題解決のための関係づくり

西井- 地域の文化や地域の自然っていうものが自分の中の一部であるっていうことを宮原さんは結構深く考えていらっしゃるなあと思っていて。多様な人たちが業界も越えて何か一つのテーマに向かって営みを進めていくというか。

宮原- 自分の得意分野の中でいることが一番楽と思うんですけどね。そこの部分とばっかいると、マイナスの部分が多くなってしまう可能性があるので。

宮原- そこの境界線の部分をお互い大事に守りながら、共有するということがまた大きな輪につながるんじゃないかなあ、という風に思うんですけどねえ。年齢差、性差、職差、全く関係なくフラットな関係でやると、初めて問題を共有できるということで。

宮原- 今の地域の、特に山に関しての問題は沢山あるんですね。共有できるネットワークを作って、解決することができないかもしれないけども、同じ問題を話し合う。それがひとつの共通言語となって次に進んでいくのかなあと。

西井- そこで文化がつくられているような感じですよね。

西井- 京都の方の言葉なんですけれど「上流は下流を思い、下流は上流に感謝する」っていう。見えない中でも繋がっていることというのが、身近なところにあるのかもしれないなって思いました。

 

プロフィール

宮原良雄さん

1951年、紀北町生まれ。大手重工メーカー設計部から大工修行に入り、大阪・修成建設専門学校建築科卒業後、設計事務所に勤務。
1979年、田舎に帰り「宮原良雄建築設計事務所」を設立する。
2002年、三重県建築賞を受賞。現在、みえ木造塾運営委員、日本建築家協会会員。趣味はまちなみ探訪、地域やこども達の応援団。
地域材を使ってまちなみや環境に優しい『木の家の住まい』、『木の香る学校や公共建築』の設計を行っている。

西井勢津子さん

株式会社地域資源バンクNIU 代表取締役

2006年より特定非営利活動法人起業支援ネットに勤務。
2010年農山村の仕事おこし、農山漁村コーディネーターを志し多気町丹生にて空き家を借りて起業。

 

(2010年9月11日)

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